正論である:
今日の一貫 農地政策の検討はじまるが遅すぎないか: "「農地は農家の私的なもの」と思ってる人が多い。が実はそうではない。 農地は、耕作することによって所有が認められる、公的なもの。 公的なものに条件図けられた所有。こういった所有を経済学では何というのだろうか? 私的所有ではなく、個別的所有とでも言うのだろうか。 とまれ、農地政策の根幹は、耕作すること。それが大前提。 耕作しなくなれば、所有も何も認められない。 転用は言うに及ばない。と、農地法の理念をいくら強調してみても、昨今では言うだけ野暮になる。農家は誰もが「自分のもの」と思いこんでいる。だから「転用しようが、耕作放棄しようがオラの勝手」となる。"
立花隆も同じことを書いていた。
その後20年も経っているが,状況は全く変わっていないのである。
高坂正堯が講演で面白いことを言っていた。「世界中で地権者の権利がこれほど守られている国は,日本と西ドイツだけ。どっちの国もアメリカの占領下で法体系が作られた。なんでだろうか,よく考えてみよう」と。
も ちろん高坂がいいたかったことは,アメリカは「ドイツと日本を再び軍事大国にしてはいけない」との固い決意のもとに両国の法体系の整備を推し進めたのだ。 農地解放もその一環。その後冷戦に入り多くの産業政策は修正されたが,農地だけは,いったん渡してしまった以上,修正のしようがなかった。日本は占領軍が 仕組み込んだ十字架をその後な長く引きずることになる。いまだに日本の農業は生産性が低いまま。
日本の農家は,アメリカのおかげで農地をもらったくせに,外国(特にアメリカ)が大嫌いな人が多い。不思議なことである。これもまた日本を弱体化させたかったGHQにとっては「想定内」の帰結だったのか。
PS)土地は国家のものであった時代もあった。平安時代には農民は「耕作権」だけが認められていた。まあ,漁業権と同じ。ここ↓
「不動産業者・金融業者と化した偽装農民たちの宅地並み課税への抵抗」(立花隆): "大部分の農民の土地は、戦後の農地解放で「耕すものにこそ所有の権利がある」という理由で、ただ同然の値段で手に入れたものであって、脱農業を計り「耕 さざるもの」となった農民には、この間の地価高騰による超過利潤が本来的に自己の所有に帰属すべきものだとは主張できないはずである。(中略)農地解放の 精神を忘れて、ただただ既得権益のエゴイスティックな保持だけしか考えない偽装農民たちと、その主張の代弁しか考えない農協組織という状況がいつまでも続 いていると、何れ農地開放に匹敵するような強権発動をもってしかこの矛盾を解決できないという声が社会一般の認識となるかも知れない。"
その後20年も経っているが,状況は全く変わっていないのである。
高坂正堯が講演で面白いことを言っていた。「世界中で地権者の権利がこれほど守られている国は,日本と西ドイツだけ。どっちの国もアメリカの占領下で法体系が作られた。なんでだろうか,よく考えてみよう」と。
も ちろん高坂がいいたかったことは,アメリカは「ドイツと日本を再び軍事大国にしてはいけない」との固い決意のもとに両国の法体系の整備を推し進めたのだ。 農地解放もその一環。その後冷戦に入り多くの産業政策は修正されたが,農地だけは,いったん渡してしまった以上,修正のしようがなかった。日本は占領軍が 仕組み込んだ十字架をその後な長く引きずることになる。いまだに日本の農業は生産性が低いまま。
日本の農家は,アメリカのおかげで農地をもらったくせに,外国(特にアメリカ)が大嫌いな人が多い。不思議なことである。これもまた日本を弱体化させたかったGHQにとっては「想定内」の帰結だったのか。
PS)土地は国家のものであった時代もあった。平安時代には農民は「耕作権」だけが認められていた。まあ,漁業権と同じ。ここ↓
8/3 Today 大宝律令完成す(701): "土地はすべて国家のものと定められた。班田収授法。平安時代になるとこれが維持できなくなり土地に対する私権が蔓延って行く。イギリスなんかはいまだに 「土地は女王陛下のもの」という感覚が強く残っているため公共事業などやりやすいが、日本じゃ成田空港建設を見ても土地の私権がいかに強いかわかる。唐律 のマル写しである大宝律令を堅持していた方がよかった?"
Posted: Wed - December 13, 2006 at 01:02 PM Letter from Yochomachi 農業問題 Previous Next Comments
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